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【想いのこころと姿】holo shirts.窪田さんインタビュー

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structで毎年人気のイベントholo shirts.のシャツのフルオーダー会。今年(2019年)の6月で一度、新規の型紙受注を休止されるということで、ブランドの代表、窪田さんにその経緯や、また窪田さんのパーソナルな部分も含めて詳しくお話を伺う機会をいただいた。

  • 窪田 健吾(くぼた けんご)
    10代より独学で服を作り始め、大学卒業後は繊研新聞社に勤務。2014年11月に独立し、オーダー専門のシャツ屋holo shirts.(ホーローシャツ)を開業。国分寺のアトリエや全国各地でオーダー会を開催。身体にも気持ちにも合うシャツを作りづつけている。

ハラダ:まずは経歴から。服を作り始めたところから繊研新聞に勤められるまでをお伺いしたいなと。

窪田:はい。はじめて服を作ったのは、大学の合格が決まって暇になった高校を出るぐらいの時でした。家に母親のミシンがありまして、バイトもしてなかったしお金もなかったので、ほしいと思っている服に似せたものや、父親の服とか、古着で買ってきた奴をリメイクするところからはじまりました。大学入っても時間はあるじゃないですか。だから、服飾の専門学校の教科書を買ってきて、ちょこちょこ自分で着る服とかを作ってて、っていうのがベースにありました。

ハラダ:高校生ぐらいに服を作りはじめて、特にこういうファッションが好きだとか何かあるんですか。

窪田:結構速いテンポで移り変わってましたね。当時の流行りを雑誌で追ったりしつつ、あんまり絞ってなかったかな。今もそんなに固まってないですし。

ハラダ:こういうジャンルや、こういうブランドがとかは特になく。

窪田:そうですね。なんか色々見に行ってたという感じで。ここのブランドのすっごいファンみたいなのはなかったかなと思います。ここのお店に買いに行くとかはありましたけど。

ハラダ:お店につくっていう感じですね。たとえばどこに?

窪田:地元の吉祥寺に当時としては珍しかった、メンズのセレクトショップROLがあって、あとは服屋さんじゃないけどRoundaboutも服を扱っているんで。

ハラダ:それはいつぐらいでしょ?

窪田:Roundaboutは、高校卒業ぐらいのタイミングで人に連れてってもらって。そんなに何回も買えないけど色々見させてもらってました。
 ROLは大学に入ってすぐぐらい。ちょうどオープンから1年ぐらいのタイミングだったと思うんですけど、色々試着させてもらって、っていう感じです。その間もゆるく、頻繁にじゃないですけど服は作っていました。

ハラダ:じゃあもう独学でっていう感じですかね。自分も買い物とかは好きでしたけど自分でつくろうって思ったことはなかったです。それはお母様の影響みたいなところが大きいんですかね。家にミシンがあったっていう。

窪田:親の影響っていうんですかね。でも、家にミシンなかったらこれは始まらなかったと思います。服を作りたかったというよりは、欲しいのが買えなかったということだと思います。じゃあもう作るしかないっていう。で、やってみたら面白かったという。

ハラダ:では、そこから洋服作りではなく、新聞社への就職というのは、どういうふうに?

窪田:そうですね。大学生のときユニクロでバイトしてたんですけど、そこの休憩室にあった繊研新聞を手にとることになったんです。こんなマニアックな新聞があるんだなって。ちょっと雑誌に飽きていたタイミングだったんで、余計に。

ハラダ:雑誌は、どんなものを見てたんですか?

窪田:高校生の頃はメンノンとか、ポパイとか。結構手当たり次第に読んでたんですよね、あと装苑も。

ハラダ:おー。幅広いジャンル。

窪田:でも、ジャンルは違うけれどやっていることはみんな似てる、そういうファッション誌に飽きてきた時期で。そんなところに繊研新聞という存在を知って、なんか良いなって。ファッションではなく、その〈業界で仕事するため〉の視点というのが新鮮で。

ハラダ:たとえば、業界の裏話的な部分とか?

窪田:そこだけではなくて、ファッション誌を開いても載ってないような情報っていうのに面白さを感じてました。やっぱり服はずっと好きだったんで、服に関わる仕事をしたいなとは思ってました。
 大学出てから専門学校にいって、アパレルのメーカーに勤めるのかなぁとか、考えたんですけど、全然考えも固まってないし、具体的に何っていうのがなかったんで、色々な視点が必要そうだなと。

ハラダ:調査に乗り出したと。

窪田:現場の本当に深いところは経験しないとわからないけれど、業界をグルっと見ることができるポジションだろうなというのは思っていたので、マスコミに絞って就活しました。もちろん、繊研の他にも受けてました。
 色んな人に会うことで、自分の固まっていないやりたいことを固めていけるんじゃないかなっていう思いがあって。そして、ありがたいことに繊研新聞に拾ってもらい、いろんな繊維業界で話を聞きに行く機会を得て、まあ、現実を知ることになりました。

ハラダ:なるほど。繊研新聞にはどれくらい?

窪田:4年いました

ハラダ:22、3歳から27歳ぐらいまでって感じですね。就活中には固まらなかった考えが、その4年の間に形になっていって、holo shirts.の構想が生まれたんですか?

窪田:そうですね。3年目でなんとなくですが、こういう事したいかもっていう風に。最後の1年は働きながら、ファッションスクールのエスモードに夜間通ったんですよ。

ハラダ:そこではじめて専門的な技術を学んだんですか。

窪田:そうですね。週に二回学校に通って、服作りをどう教えているんだろうみたいな。いまでもその時のことはすごく役に立ってますね。作り方の答え合わせみたいなことをさせてもらいました。

ハラダ:なるほど

窪田:で、1年間ぐらい準備期間があって、holo shirts.が2014年の11月開業。もう少しで丸5年になります。

影響を受けたモノとコト

ハラダ:ファッション以外に影響を受けたものはあるんですかね。

窪田:学生時代は美術館にはめちゃめちゃ行ってました。美術は今でもすごい好きです。見に行く時間がもっとほしいなっていうぐらい。あとは、映画もよく見ました。

ハラダ:どんな映画を?

窪田:割と邦画か、洋画でも古い作品が多かったかな。一番仲良かった友達が映画の配給会社に勤めることになるんですけど、その人にいろいろと。教えてくれたやつは見る、みたいな。

ハラダ:それは、ちょっとイメージだけなんですが、単館系とか?

窪田:そうですね、そういうものが多いですね。邦画でも「踊る大捜査線」とかよりは、黒沢清とか青山真治とか。頑張って蓮實重彦の本を読んでましたね、よくわかんなかったですけど結局(笑)

ハラダ:ちょっと背伸びみたいな(笑)

窪田:背伸びでしたね。リトルモアから出ていた「真夜中」っていう雑誌があるんですけど、蓮實重彦・黒沢清・青山真治対談という連載があって。力使うわぁーと思いながら読んでました。雑誌も好きでしたね。

ハラダ:ファッション雑誌以外にも、ということですか。

窪田:手当たり次第買ってました。ブルータスとか。あと、2009年頃は新しい雑誌が生まれる事も多くて、それを結構買いました。続かなかったものや、休刊するものも多かったように思いますけど。

ハラダ:多かったですもんねあの時代。

窪田:そうですね。そういうのは貪欲だったかなと思いますね、特に学生時代は。

ハラダ:美術館は、どういうところに行ってたんですか?

窪田:現代美術が多かったかもしれない。西洋美術ももちろん行きましたけど、面白みを感じたのは現代美術の方でした。足が向くのも美術館からそのうちギャラリーになって。美術館も六本木とか清澄白河とか、原美術館とかが多くなっていったかな。

ハラダ:これまでの話を聞いていて、何か方向性を感じますね。窪田さんらしさというか。

窪田:大学時代に1年アメリカ留学してまして。そこで、卒業に繋がるような真面目な授業を取らないで、絵の授業を取ってたりしていたんです。絵を描いて1年間遊んでたんですよ。そこで木炭、アクリル、水彩、油絵、シルクスクリーン、リトグラフ、モノプリント、色々やりました。やったんで、やった目線で見ると、美術がすごい面白かったんですよね。

ハラダ:やったからこそ、ここすげーなっていうのが分かるわけだ。

窪田:そう。油絵を見てるとき、はっきりはわからないけど、一度下地に赤を塗ったんだなぁみたいなのが分かったりするとすごく面白味が増して。社会人4年間、大阪の中崎町に住んでたんですけど、「iTohen」っていうギャラリーがあって、そこによく通ってました。
「iTohen」は、1〜2週間ぐらいで展示が移り変わって、そこで初めて絵を買ったんですよ。A4サイズくらいで、2、3万とかですけど。そこでちょこちょこ良いなって思う作品を買うようになりました。
絵を描く友達が「iTohen」経由で増えて、いまも付き合いがあります。なんか〈豊かさ〉じゃないですけど、そういうのは「iTohen」から教えてもらった感じはありますね。あと、「iTohen」はグラフィックデザインの会社「SKKY」が運営してるんですけど、holo shirts.のロゴはそこで作ってもらいました。

ハラダ:見る絵は、特定のこの人のとか言う感じでもないんですかね。

窪田:あんまり選り好みせずに色々見に行きましたね。どんなレベルのものであっても、たくさん見るってやっぱり影響あるんだなっていう。自分の中で基準ができてくるというか。そういうのはすごい楽しかったですね。「iTohen」はスーパーの袋持って入ってって良いような包容力があるところだったのもあって(笑)

ハラダ:そんなに気軽に(笑)ちょっと遊びに行く様な感じで。

窪田:そこから独立されたデザイナーの方に今もお仕事をお願いしてたりもしますし、近所にあってありがたい存在だったなと思いますね。

「僕がやっている服は、衣食住には含まれない」

ハラダ:それじゃあ、もう少し具体的な話に。holo.shirtsを始められて5年が経とうとしていて、今年(2019)の6月末で一旦、型紙制作の新規申し込みを止められると。
 で、いまアパレルっていうのはなかなかお金が稼ぎにくくなっている。holo shirts. がやってるオーダーというのは他ができない武器だったけれど、セミオーダーをはじめるなど色々と大きな舵きりだったかなと思うんですが。

窪田:はい。自分の中で今のタイミングで〈譲れないところ〉と〈やりたいこと〉が決まっていて。そのために何かを諦める、とは言いたくないんです。
 やっぱり最初にやりたいとおもったフルオーダーは自分の手でしたい。そこが守れなくなると何のためにこれをしているのか整理できなくなってくると思いました。そこをしたいと思ったら、作業時間をじゃあどうする? っていう時に、まだholo shirts.は会社じゃないですけど、もっと経営になってくるとも思っていました。

ハラダ:なるほど。やりたいことと「経営」とのバランス感覚ですね。

窪田:作るのは楽しいので、自分の手を動かす時間はゼロにはしたくない。けど、少なくはしていくしかない。人と会うとか、考える、頭を働かせる時間を長くしないといけないなと。なので、いまは作るっていう方をゼロにしないまでも、少しずつ手放すっていう判断をして、それに向かって動こうとしています。
 なのでやりたいことは最初からあまり変わってないですけど、それを続けるための手段を変えてみてるっていう感覚ですね。まあ、もがいてます。

ハラダ:もがいている、という言葉もあり、ちょっと話はずれるかもしれないんですが、アパレル業界に関する危機感みたいなものは感じますか?

窪田:繊研新聞時代、作る場所がなくなっていっている話や、やっぱり売れてないっていう話とか。じゃあこれどうするのよって自分なりに考えて仕事していました。たくさん作ってたくさん売ろうとしたけど売れないパターン、たくさん売ったけどやっぱり残るとか。そういう無駄が多い世界っていうのは日々感じていました。
 やっぱりせっかく作った人がいるのに、袖を通されないで燃やされる服があるのは許せない。というよりは哀しい。服をそういう風にしたくなかったし、僕は人と会って話すのも好きだし、作るのも好きだし、そういうことをすべてできそうな形を考えて答えはないけどもがいてるっていう状況です。

ハラダ:業界を、正してやらなきゃって思ったりします?

窪田:そんな正義感っていうよりは、〈理想の形をやれている人〉がやりたかったんです。自分みたいな人が活動できる世の中であってほしいという思いも同時に持ち合わせながら、自分がどうやったら生き残れるかっていうのを考えているっていうところもありますね。
 やっぱりやってることを、趣味っていわれたらいい気はしないですし。そういうのじゃない。でもまだそう見られてもしょうがないイメージなんだとしたら、努力不足なので。

ハラダ:服に対しての強い思いがあると思うんですけど、業界として、産業として非常に厳しい。でも、どうしてそこまで強い思いがあるのか、それはなぜなんですか? って言われたらなんて答えますか。何故そこまでして服っていうジャンルに行こうと思ってるのか。

窪田:なくなったら夢がないからですね。僕がやってる服は衣食住の中には含まれないと思っていて、衣食住の外にある贅沢品という意識は確実にあるんですよ。でも衣食住だけで過ごすのもアリだと思うんです。

ハラダ:窪田さんのいう衣食住は、最低限の衣食住の話ですよね。

窪田:それだけもありっていうか、そういう形もあると思うんです。でも絵を買ったりとか、美術館で過ごす時間とか、映画を見るとか、エンターテイメントに時間を使うことって、やっぱり衣食住の外からでていることだと思うんです。そういうのがなくなると人間どうなっちゃうんだろうと考えます。
 会社に勤めて粛々とやってれば、最低限の衣食住を手助けする仕事はできるかもしれない。けど、やっぱり生活の豊かな部分っていうのを作り出すのは、自由な発想で、誰の命令でもなくやりたいことを発表して、それをプロ意識をもってやっているか、やっていないかは人にもよりますけど、そういう人だと思うんです。その人たちがいるから、世の中に彩りがもたらされるというか。僕は、そういう意識を自分が買ったり、見たりっていう経験から感じていたので、担う側になりたいなっていう気持ちがあって。その中で関わりがあって好きだって思えるものが服だったので。僕は服担当。もっと言ったら〈シャツ担当〉として続けていける、なんだったら儲かっているよって言える存在になるっていうのは、つまんなくない世の中を作るためにはありかなっていう気がして、やってます。
 でも儲からないと示しつかないので、もっとしっかり利益を上げたいなとは思ってます。

ハラダ:なるほど。

窪田:答えになったかどうかはちょっとわからないですけど。

ハラダ:めちゃめちゃいい話ですよね。普通だったら〈夢を持って、自分の好きだったカルチャーに関わりたかった〉で終わるところ。でも、一歩踏み込んで、儲からないといけないという部分、そうしないと意味がないということを伝えていかなきゃいけないのかなっていうのは、インタビューをするってなったときに感じてて。

窪田:お金もらうことは悪いことじゃないですし。

ハラダ:お客さんが求めてるものってもっとファンタジーだったりするじゃないですか。そこは、ちょっと齟齬が生まれてきそうですよね。

窪田:そこに、例えば値段設定に後ろめたさがあったら、しゃべれないんですよ、多分。でも正当な対価を頂いているというか、練りに練って付けた値段というか。やっぱりいつでも、値段つけるのは難しいことなので。こっちも利益を出せて、でも「えー」って思われない値段でどう提供していくかって言う事とかは、常に考えることじゃないですか。

後編へ続く……

holo shirts.
http://holoshirts.com/

-お話の中に登場したお店-

ROL
https://www.rol.co.jp/

Roundabout
http://roundabout.to/

iTohen
http://itohen.info/

原美術館
https://www.haramuseum.or.jp/jp/hara/

 

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